【プロフィール】三輪 拳

はじめまして。FMT整体愛知小牧本院で施術家をしています。三輪 拳(みわ げん)です。

私は「あぁ、施術家をやって良かったな。」とホッとした温かい気持ちになる時があります。自分の諦めていたことができるようになって「ありがとうございました!」と嬉しさで溢れている笑顔を見た時です。

多くの人が自分の人生に希望を持って歩めるように。そんな想いで施術家をしています。

そんな私も、元々は、オスグッドという怪我で FMT 整体に通っていた患者の一人でした。

FMT整体との出会い

私は、「小2から始めたのに、小6までフライもとれない」というセンスのない野球少年でしたが、練習は人一倍頑張りました。練習中に、膝に違和感を感じましたが、チームメイトからの視線が怖くて練習を休むことができずに、練習を続けた結果、膝が曲がらなくなりました。

様々な治療院で1年半治療をしても良くならず、チームメイトからは、「おい!いつまでズル休みしてんだよ。もう痛くないだろ!」と責められ、「この怪我はもう治らない。自分のやりたいこともできない。」と自分の人生を半ば諦めかけていた時に出会ったのが FMT 整体でした。

はじめて施術を受けた後に、1年以上できなかった正座ができるようになった時の驚きは、今でも覚えています。1年半、先の見えない苦しかった思いが、希望に変わり、自然に笑顔がこぼれた瞬間でした。

怪我が治った後、私がやりたかったこと

それは、「陸上競技の長距離走」でした。

私は、中学卒業後、実家を離れて陸上の強い高校に進学しました。野球部の中で一番走りには自信があったので「陸上なら結果を出せる!」そう意気込んで、入部した初日の練習は、陸上部の女子部員にもついて行けないというのが現実でした。

自信があった分、本当に恥ずかしくて、初日からすでに逃げたい気持ちでしたが、陸上のために実家を離れて入学した高校。簡単に辞めるわけにはいきません。

しかし、練習は、女子部員にもついていけない。大会に出たらビリか良くてブービー。チームメイトが励ましてくれても、それが余計に恥ずかしくて、自分が情けなく思えました。

毎日、部活が終わって、部屋に帰って、1人になると勝手に涙が溢れてきました。

とにかく練習についていきたい

「もうカッコ悪くてもいい、ダサくてもいいから、練習についていきたい。」ただ、その一心でした。

練習についていけなくても、みんなが練習を終えて、帰りの支度をしていても、全ての練習メニューを最後までやり抜きました。家に帰ったら、自分の走りのビデオを見たり、速い選手の動きをスローモーションで見て、何が違うのか?を毎日考えました。

「これだ!」と違いを見つけると、夜中に走り出して練習をしました。大会になると、トップ選手についていけるところまでがむしゃらについていきました。でも、そんな実力はないので、途中でばてて、周回遅れになって、ビリというのが私のレースでした。

そんなレースばかりしていると「考えて走りなよ」とバカにされる時もありましたが「考えて走ってもどうせビリになるんだから、自分の全力を出し切ってビリになる方が良い」と開き直っていました。最初に自分の実力以上に飛ばしすぎて、ヘロヘロになって倒れて、ゴールできずに救護室に運ばれることも何度かありました。

今はできないことも、諦めなければできるようになる

しかし、そんな日々を続けていると、少しずつ、結果が出るようになりました。できなかった練習ができるようになり、今までついていけなかった選手にもついていけるようになりました。大会での順位も少しずつ上がっていきました。そして、高3時には、インターハイも目指せる実力になっていました。

結果は、インターハイ一歩手前の北信越大会で終わってしまいましたが、その後、監督から「山梨学院大学のスカウトの人がお前と話がしたいらしい。」と言われました。スカウトの人には、「君のフォームを見ていると伸びしろが、ものすごくある。良かったら、うちに来ないか?」と言っていただきました。「頑張ればこんな想像もしなかった日が来るんだな。」と今までの日々を思い出して、嬉しさがこみ上げてきました。

私は、元々、色々なことができる才能はありませんが、このような経験もあってか「今はできないことでも、諦めずに続ければ、必ずできるようになる」という想いを持てるようになりました。

父親が教えてくれたこと

でも、それは、今振り返ると、父の影響が大きかったのかもしれません。

私が小学校2年生の時、父は、車に生身ではねられ、意識不明の重体という大事故の被害者になりました。小学生だった私が覚えていることは、全身包帯でグルグル巻きの父です。診断は、大量出血、脳挫傷、頭蓋骨骨折、脳内出血など、、、。

当時、母は、医者から「99%助からないでしょう。助かったとしても植物人間です。この状態で、生きているだけでも奇跡です。」と言われたそうです。

しかし、現在、父は、会社員として、普通に働いています。後から聞いた話では、脳をやられていたので、意識が戻ってからも、字が書けない。小学1年生でもできる算数も解けない。歩くこともままならない状態で「社会復帰は諦めていた」と言っていました。それでも「子供(私)を残して、死ぬわけにはいかない」と様々なリハビリ、治療法、思考法を試して、やっとの思いで社会復帰をすることができたそうです。

退院後、父は、何かあるたびに「自分の夢は信じれば絶対に叶うから、やりたいことをやりなさい。」と私に言い続けました。振り返れば、父は、私が「やりたい」と言ったことを反対したことはなかったし、大げさな夢を語っても、バカにしませんでした。いつも「げんなら、できるよ。」って言ってくれました。

オスグッドの時に FMT 整体に往復8時間かけて、送り迎えをしてくれて、突然、陸上の強豪校に行きたいと言った時も背中を押してくれて、スカウトで入学した大学を辞めて施術家になると言った時も、いつも「本当に自分がやりたいことなら、やりなさい。」と言ってくれました。

今度は、自分が施術家として、人の役に立ちたい

私は、今まで自分の努力で結果を出したり、生きているつもりでしたが、こうして、振り返ると周りには、いつも私を信じてくれる人たちがいました。そう思ってから、今まで、できなかった感謝もできるようになってきました。

私は、私を信じてくれた人達がいたから、自分の可能性を信じることができ、諦めそうなことも乗り越えることができました。

だからこそ、私は、施術家として、施術を通して、あなたが自分の可能性を信じて、希望を持って、人生を歩めるように。そんなお手伝いをしたいと思います。

今、どんな状況であっても、今の経験が必ず、未来に活きてきます。素晴らしい未来へ繋がる経験を一緒に楽しんで乗り越えていきましょう。

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三輪 拳(みわ げん)
FMT整体愛知小牧本院 施術家。私が高校時代から大切にしていることは”最後まで諦めない”こと。まさに、施術家の役割は、患者さんが良くなっていく過程に辛抱強く寄り添いながら、一緒になってその根本原因を探り、解消していくことだと思います。多くの方を笑顔にできるようとことん諦めずにお手伝いしていきます。
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